SSブログ

知らなければサタンも・・・  ~2015年6月21日 摂理 主日の御言葉より= [摂理 先生]

ハレルヤ(^^)/

今日は今週の主日に宣布された主日の御言葉を紹介します。

皆さんは生きる時に最善を尽くして生活されていますか?

人は正しく生きようとしても、いつの間にか?間違った方向に行く時がありますよね?

また、何かを判断する時に迷うことがあった時に・・・

どの様に判断していますか?

単純に前もこうだったから… こっちの方が良さそうだな?とか決めていませんか?

何かを判断する時に聖三位に祈ってみてください。

その道が正しいのか?時にはつらく大変なこともあるでしょう。

また、判断するために学ばないといけません。

お酒やたばこは嗜好品ですよね?

その嗜好品が身体にどのような影響があるのか?

例えば、お菓子を食べる時、ジュースを飲む時、それがどのような影響があるのか?

わかっていますか?

正しくわかってこそ、より良い判断ができます。

御言葉を学ぶことは聖三位の基準に合わせて、何が正しく、何が間違っているのか?

祈ることは聖三位とつうじることです。

皆さんが聖三位の神様、聖霊さま、御子を知って、悟られ、より良い人生を生きられることを願います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「知らなければサタンも人サタンも苦しめ、自分が自分に苦痛を与える 」

[御言葉]
鄭明析牧師

[本 文]
マルコによる福音書5章36節
36) イエスはその話している言葉を聞き流して、会堂司に言われた、「恐れることはない。ただ信じなさい」。
ルカによる福音書8章50節
50) しかしイエスはこれを聞いて会堂司にむかって言われた、「恐れることはない。ただ信じなさい。娘は助かるのだ」。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ハレルヤ!

永遠でいらっしゃる神様の愛と御子の平安を祈ります。


神様の歴史を進めるにあたって、サタンはいつも「悪人たち」を使って「悪なる言葉」で私たちを蜂のように刺します。愛してやっても無駄だし、よく接してやっても無駄で、放っておいたら100%刺し、私たちに害を与えます。


ただ御子主を愛すること、御言葉、祈りがサタンと悪人たちに勝つ武器です。悪を、自分を刺す蜂だと思って、<祈>り、<御言葉>を強く認めることで退かせなければなりません。


また、サタンは「間違った認識観」を握って苦しめます。
本人の間違った認識は本人が解くことはできないので、知っている人が教えてあげなければなりません。だから命の御言葉を聞いて、「認識」を正しくすれば、悪に打ち勝ち、心配・悩み・憂い・苦痛・困苦から抜け出します。


サタンは詐欺師です。

恐怖を与え、不安がらせ、落胆させ、心配させ、信じられないようにします。
知らなければサタンが苦しめ、知らないから自分が自分に苦痛を与えます。
<知ること>が「光」だから、私たちが正しくはっきり知ったら闇はすぐに退きます。



<義人がする祈りと御言葉>は力があり、神様も聖霊様も御子主もその言葉に力強く働きかけるので、祈ることで、自分の問題をぎゅっと握っているサタンを滅ぼし、自分の考えを主管するサタンを滅ぼし、間違った認識を持たせて落胆させるサタンを滅ぼし、これからの勝利を妨害するサタンを滅ぼすことで、次元を上げていく皆さんになることを祝福します。


鄭明析牧師による主日の御言葉からⓒ Mannam & Daehwa







nice!(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

2015年6月7日 摂理で宣布された主日の御言葉 [摂理 先生]

ハレルヤ(^^)/
今日は先日2015年6月7日の主日の御言葉を紹介します。

今週、聖三位は「聖霊の御言葉」と言う主題をもって、御言葉を教えてくださいました。

御言葉をとおして、

「よりよくなるためにはどうしたらいいのか?」を教えてくださいました。

たいていの人はある程度は知っています。そうですよね?
でも、確かに知っていることは少ないですよね?

たいていは大雑把に知っているだけです。そんなことありませんか?
知っているふりをしたりしていませんか?
僕はあります。ある分野ではそうだし、やってきていることではそうではないですが・・・

確かに知ってこそ、理解し、そのことに対して、満足にできるのです。

また、片側だけを知るのではなく、両側を見なさい。と

片側だけを見て、判断するのではなく、一対になっているものだから両方を正しく知ってこそ・・・

より良い判断ができるし行なうことができます。

では、その週の御言葉をマンデーより転載します。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
主題「聖霊の御言葉」

[御言葉]
鄭明析牧師

[本 文]
○ヨハネの第一の手紙5章8節
8) 御霊と水と血とである。そして、この三つのものは一致する。
○ヨハネによる福音書14章26節
26) しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。

--------------------
ハレルヤ!

永遠でいらっしゃる神様の愛と御子の平安を祈ります。

人が何かを分かる時、
100%はっきり分かってこそ、満足に行ない、次元を上げ、願いを叶え、御心を成します。


大雑把に分かったら、ちゃんと行なえません。
大雑把に、中途半端に分かったことは、分かったことではないので、聖霊の御働きも、火のように起こることができないし、雄大な歴史も成すことができません。

私たちがはっきり分かって行うべきことは、‘つながっているものは一つ’と見て行うことです。

イエス様は「私を見た人は父を見たのに、どうして父を見せなさいというのか」と言いました。
神様が遣わした「イエス様」を見ることが、すなわち「神様」を見ることでした。イエス様の時も「イエス様とつながっている神様」を見ることができなかったので、イエス様を一人の青年としか思わなくて、あれほどにも迫害し殺したのです。

つながっているものは一つです。
<主体>と<主体が遣わした人、対象>は一つだから、つながっているものを一つと見てこそ、次元を上げ、歴史を成します!

また、人間を見ると<霊と肉>が「対」になって人間の形体を完成するように、三位はすべてを「対」で完成されました。

<旧約の二人の証人>は「モーセとエリヤ」だったし、<新約の二人の証人>は「イエスと使徒パウロ」でした。<使徒パウロ>は「三位が立てた新約の使命者」として、イエスが十字架に付けられたことで、霊で伝道されましたが、世の初めから予定された人でした。

イエス様の肉がなくて代わりとなる役割ではなく、歴史を完成するために三位が計画的に創造し育てた人でした。イエスと使徒パウロが、一つの対になって歴史を完成し、成しました。

今日の聖霊の御言葉を聞いて、つながっているものを一つと見ることで、より次元の高い歴史を成していくことを祝福します!

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

2015年5月26日 摂理で宣布された主日の御言葉 [摂理 先生]

[鄭明析牧師による主日の御言葉から]

(聖霊)私があなたの体を使って、あなたを通して私の仕事ができるようにしなさい。そうすれば私が一緒に暮らすことができる。

[御言葉]
鄭明析牧師

[本 文]
ヨハネによる福音書15章4~5節
4) わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。
5) わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ハレルヤ!
永遠でいらっしゃる神様の愛と御子の平安を祈ります。

今日は三位一体のうちのおひとかたでいらっしゃる聖霊様について話します。

「火」と言ったら聖霊様で、「感動」と言ったら、地球が溶ける威力の感動の神、聖霊様です。また、神様と一体になって行なう「全能者」でいらっしゃいます。
このような聖霊様を「どのようにしたら私たちのそばを離れないようにし、いつも聖霊様と一緒に暮らすことができるでしょうか?」


聖霊様がそばにいらっしゃっても、聖霊様と心と考えが違えば、聖霊様といつも一緒に暮らすことはできませんが、大きい人でも、幼い人でも、聖霊様と「同じ主管圏の中」で暮らして、<聖霊様の考え>と一体になって、<聖霊様の体>になって、<聖霊様の仕事>をしてさし上げたら、聖霊様は離れないで、「その肉体」を使って、ずっと一緒に暮らしてくださいます。

神様と聖霊様と御子は、肉体を使って働かれます。
神は地上で御心を広げなければならないので、「肉の足台」があってはじめて「天の御心」をこの世に実現します。

だから、三位一体が最高に喜ぶ人
「自分の心を空けて、三位一体に自分の肉体を差し出す人」です。
<自分の肉体>を差し出すにしても、<自分の考え>を空けて、<三位一体の考え>に合わせて差し出してはじめて、三位一体が「その体」を使って働きかけ、行ないます。

聖書の人物たちもそうです。
<自分の考え>を空けて、神様に<自分の肉体>を差し出したので、神様は「その体」を使って行ないました。
神様は「モーセの肉体」を使って、さまざまなしるしを見せ、紅海を分けてイスラエル民族をエジプトから救ってくださいました。
また、「ヨシュアの肉体」を使って、カナンの地を占領なさいました。
そして「サムソンの肉体」を使って、ペリシテの軍隊に勝ちました。
神様は「ダビデの肉体」を使って、敵、サタンを滅ぼし、民族の問題を解決なさいました。

自分を中心にしたら、三位は不安で、お使いにならないので、いつも変わることなく、いつもどこででも<自分の心>を空けて、<自分の肉体>を差し出さなければなりません。

今は聖霊様をお迎えして一緒に暮らす方法をわかったから、みんな御言葉を守って、自分の心を空けて、自分の体を差し出して、聖霊が皆さんを使って、聖霊の働きを行なわれることを祝福します。

----------------------------------------

聖三位が最高に喜ぶ人、自分自身をゆだねる人とありました。
委ねると何されるかわからない。
そんな心配は必要ないです。
なぜなら、聖三位の考えは人間とは違います。そうですよね。

皆さんの人生を聖三位にゆだねてみませんか?

そのために御言葉を学ばれることをお勧めします。


nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

2015年5月17日 摂理で宣布された主日の御言葉 [摂理 先生]

「人は言われても「必要性」を分かって悟ってこそ行なうようになる。 」

[御言葉]
鄭明析牧師

[本 文]
詩編49篇20節
 文語訳「とうとき中にありてさとらざる人は、ほろびうする獣のごとし。」
 新改訳「人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ、滅びうせる獣に等しい。」


ハレルヤ!
永遠でいらっしゃる神様の愛と御子の平安を祈ります。

人が一カ所で同じく「貴重な御言葉」を聞いても、
ある人は、行なって宴会をし、
ある人は、行なえなくて恨(ハン)になって嘆く理由は、
それがどれほど必要なのか分からなくて行なわないからです。

<必要性>が分かれば行ない、<必要性>が分からないから行なわないのです。
やらないという人たちも<必要性>が分かったら早速行ない、
急いで優先権でそれを行ないます。
このように、人はいくら貴重なものでも、祝福でも、<必要性>を感じてはじめて行なうから、
どんなことをするにしても、「そのことの必要性」を感じることが本当に重要です。

<宝が埋もれている畑>でも、
その畑を買うべき「必要性」が分からなければ、半値で売ると言っても、どうしてそんなものを買うのかと理由をつけ、言い訳をして買いません。
そうしていて知っている人が「その畑は宝が埋もれている畑だ」とはっきり話したら、その日、借金をしてでも、駆けつけて自分に売ってくれとお願いをします。だからやりなさいとばかり言わないで、<必要性>を言ってあげ、分からせてあげなければなりません。

みんな<自分>が神様と聖霊様と御子主にとってどれほど必要な人なのか、悟らなければなりません。そうすることで困難に打ち勝ち、三位が貴重にお使いになります。

人は「必要性」を悟ってこそ、理由をつけず、言い訳をせずに早速行なうから、
<必要性>が分かるようにしてくださいと祈らなければなりません。
毎日「自分に該当する祝福」が通り過ぎます。


しかし「必要性」を感じられなくて、「自分のところに来た祝福」を蹴ってしまうから、今日の御言葉を脳に深く刻み、<必要性>を悟って行なって、人生の恨(ハン)を残さず、毎日<祝福の道>を行くことを祈ります。

--------------------
悔いのない人生を歩むこと!

本当に難しいです。後悔しない人はいないですよね。

だからこそ、後悔しない生き方ができる方法を学ぶ必要があると思います。

摂理で御言葉を学んでみませんか?

後悔しないためにはそのための秘訣を知らないといけません。

秘訣は神様、聖霊さま、御子がご存じです。









nice!(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

2015年5月3日 鄭明析牧師による主日の御言葉から [摂理 先生]

今日は子どもの日。
皆さんはどんな一日を過ごされましたか?
僕自身はつい最近まで実家に帰省しており、久しぶりの大阪に戻ってきて、
家族で買い物に行きました。
子どもは感受性が豊かですよね。
だからこそ、どのように育てればいいのか?
今週、鄭明析牧師をとおして、神様、聖霊さま、御子が教えてくださいました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
[主題]
1.子供たちによくしてあげ、よく教え、よく管理しなさい
2.始めることを早くしなさい

[御言葉]
鄭明析牧師

[本 文]
マタイによる福音書18章1~10節
1)そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、「いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか」。
2)すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、
3)「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。
4)この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。
5)また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。
6)しかし、わたしを信ずるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海の深みに沈められる方が、その人の益になる。
7)この世は、罪の誘惑があるから、わざわいである。罪の誘惑は必ず来る。しかし、それをきたらせる人は、わざわいである。
8)もしあなたの片手または片足が、罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。両手、両足がそろったままで、永遠の火に投げ込まれるよりは、片手、片足になって命に入る方がよい。
9)もしあなたの片目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。両眼がそろったままで地獄の火に投げ入れられるよりは、片目になって命に入る方がよい。
10)あなたがたは、これらの小さい者のひとりをも軽んじないように、気をつけなさい。あなたがたに言うが、彼らの御使たちは天にあって、天にいますわたしの父のみ顔をいつも仰いでいるのである。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ハレルヤ!

永遠でいらっしゃる神様の愛と御子の平安を祈ります。

5月5日<子供の日>を迎えて、まず「子供と青少年」に関する御言葉を伝えます。
人間は「10歳から20歳になるまで」よく学んで行なって成長することによって、将来が左右されます。成功するためには幼い時に投資し、教え、育て、管理し、偉大な御言葉を与えて、行なえるようにしてあげなければなりません。

人間は作り方次第です。
食べ物も、物も、家も、建物も、<目的>を持って作るとおりにできあがるように、子供も中高等部もみんな自分を作るとおりにできあがり、作るとおりに使われます。
しかし自分が何もしないでいるのに神様が作ってくださるのではなく、自分が偉大な神様と御子主の御言葉を聞いて行ないながら作るのです。

自分を作ったら、その喜びと幸せは言葉で言い表せません。
<自分自身>は「器」と同じなので、自分という器を作ってこそ、その器に「願っている祝福」も受け、「畑に隠した宝」を得ることができます。

二つ目の御言葉は、私たちが行なうことにおいて、最高のすべきことは「始めること」です。
各自、始めるべきことを熱心に始めてこそ宝を発見し、始めてこそ自分のものになり、残るようになります。

始めてこそ終わりを見るようになるから、<始めることの責任>をどれだけ「すべき時に」果たすかによって、<勝利と敗北>が左右されます。始めることをすべき時にしないで遅れてしたら、食べ物を食べるべき時に食べないのと同じで、味がしません。
だから食べ物を食べかけてやめるように、やりかけてやめるようになり、アイスクリームも食べるべき時に食べてこそ冷たいのであって、時が過ぎて溶けたら、食べかけてやめます。
これと同じく、すべき時に始めなければ、終わりを見ずに終わり、すべき時に始めれば、終わりを見て、目的を成すようになります。

今日の御言葉を聞いて、各自「今までできなかったこと」を早く始めることを願います。
今が始めるべき時だから、早く始めて、願っているものを得る皆さんになることを祝福します。


鄭明析牧師による主日の御言葉からⓒ Mannam & Daehwa


nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

[鄭明析牧師による主日の御言葉から] 相手になりなさい [摂理 先生]

『相手になりなさい』

[御言葉] 鄭明析牧師

[本 文]
列王記上11章38節
もし、あなたが、わたしの命じるすべての事を聞いて、わたしの道に歩み、わたしの目にかなう事を行い、わたしのしもべダビデがしたように、わたしの定めと戒めとを守るならば、わたしはあなたと共にいて、わたしがダビデのために建てたように、あなたのために堅固な家を建てて、イスラエルをあなたに与えよう。

[参 考]
ヨハネによる福音書4章3~30節(サマリヤの女)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ハレルヤ!

永遠でいらっしゃる神様の愛と御子の平安を祈ります。

人々は結婚するために、また一緒に働くために自分と同じ心と考えを持っている<相手>を探します。<愛の相手>になるためには「愛」が合わなければならないし、<働く相手>になるためには「願っている目的と志」が合わなければなりません。このように<相手>になるためには、「心と考え」が合わなければなりません。

神様と聖霊様と御子主も<願っている目的と御心>を成すために<相手>を探しますが、「どんな相手」を探されるでしょうか?

神様の創造目的どおりに「三位一体を愛する愛の相手」、すなわち「新婦として愛する相手」を探し、「三位の考えと同じ考えを持っている人」を、目が痛くなるほど見つめて探していらっしゃいます。

<水>は「水」と通じ合い、<火>は「火」と通じ合い、<電気>は「電気」と通じ合い、<電波>は「同じ電波」と通じ合います。これと同じく、御子主も「同じ考えを持っている人」と通じ合い、「同じ考えを持っている人」を「相手」にしてお使いになります。

人は生活をする時も、その都度「必要なもの」をとって使うように、神様と聖霊様と御子主は「全体」を前にして、その都度「三位の考えを持ったふさわしい人」を、心情が一体になっているので、「相手」にしてお使いになります。だから自分だけを使うと言って自分を中心にしてはいけません。みんなが互いに尊敬し、愛さなければなりません。
御言葉どおりに生きたら「三位一体の相手、主の相手」になります。<御言葉>は神様であり、聖霊様であり、御子主だからです。<三位一体>が核で、<主>が核であるように、<御言葉>が核です。

今日の御言葉を聞いて、みんな「三位の愛の相手」になり、「その時その時にふさわしい相手」になることを祝福します!


--------------------
神様、聖霊さま、御子の相手になれる祝福はどんなに大きいでしょうか?

聖三位と愛の関係を結ぶためには聖三位のことを知らないと親しくなれません。

御言葉をとおして、聖三位と一つになり、天が願われる御心をなせたらいいですよね?
nice!(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

鄭明析牧師の霊感の詩 『人の生』 [摂理 先生]

『人の生』

人は憎めば

続けて憎むようになり

愛すれば

続けて愛するようになる

天も地もそうだ

憎しみも終わりがなく

愛も終わりがない

憎む人は悪人であり

愛する人は義人だ

義人は天国の人であり

悪人は地獄の人だ


--------------------

この世界は愛にあふれています。

それなのに戦争は起こるし、貧困もあるし、格差もあります。

でも、だからと言って、愛されていないわけではないですよね?

この地球があること!

そして、境遇に差があったとしても、それぞれの状況の中で愛を受けています。

皆さんはどうしますか?

”愛”で生きますか?

”憎しみ”で生きますか?



nice!(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

[鄭明析牧師による主日の御言葉から] 感謝しなさい。喜びなさい。宴会をしなさい・・・ [摂理 先生]

ハレルヤ(^^)/

今日は先日の主日に宣布された鄭明析牧師の御言葉です。

主題

『感謝しなさい。喜びなさい。宴会をしなさい。 あなたの他には引き上げられる人がいないし、 あなたの他には感謝する人がいない。 』


[本 文]
ルカによる福音書17章11~19節
11. イエスはエルサレムへ行かれるとき、サマリヤとガリラヤとの間を通られた。
12. そして、ある村にはいられると、十人のらい病人に出会われたが、彼らは遠くの方で立ちとどまり、
13. 声を張りあげて、「イエスさま、わたしたちをあわれんでください」と言った。
14. イエスは彼らをごらんになって、「祭司たちのところに行って、からだを見せなさい」と言われた。そして、行く途中で彼らはきよめられた。
15. そのうちのひとりは、自分がいやされたことを知り、大声で神をほめたたえながら帰ってきて、
16. イエスの足もとにひれ伏して感謝した。これはサマリヤ人であった。
17. イエスは彼にむかって言われた、「きよめられたのは、十人ではなかったか。ほかの九人は、どこにいるのか。
18. 神をほめたたえるために帰ってきたものは、この他国人のほかにはいないのか」。
19. それから、その人に言われた、「立って行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのだ」。

--------------------

ハレルヤ!
永遠でいらっしゃる神様の愛と御子の平安を祈ります。

イエス様がエルサレムに行かれる時、サマリヤとガリラヤの間を通る途中、ある村に入って行きました。そこで10人のらい病人がイエス様に会おうとして、遠くから叫んで「先生、私たちをあわれんでください」と言いました。彼らが本当に治ろうとしているのを見て、イエス様は「あなたたちの体を祭司長たちのところに行って、見せなさい」と言いました。

それで、10人のらい病人が祭司長に見せようと行きましたが、不思議なことに行く途中でみんな病気が治りました。

その中の一人が、自分が治ったのを見て、神様に栄光を帰してから、イエス様のところに来てひれ伏して拝し、経緯を話しました。

「私は異邦人です。治してくださって本当に感謝します!一生の病気であるらい病が治ったから、本当に気絶しそうです!!夢ではない現実です。本~当に、本~当に感謝します!!」と喜んで告白しました。

それでイエス様が「10人とも清くされたのではないか。他の9人はどこにいるのか。この異邦人の他には、神様に栄光を帰するために戻ってきた人はいないのか」とおっしゃいました。

その一人のらい病人は「病気が治ったこと」で終わったのではなく、イエス様の御言葉を信じて神様に栄光を帰し、感謝しました。

それでイエス様はその人に「あなたの信仰があなたを救った」とおっしゃいました。

このように<引き上げの価値>を悟って、感謝し、喜び、宴会をして生きなければなりません。なぜならば、<引き上げ>は「永遠な地獄」を免れることの保証であり、「天国」を手に入れることの保証だからです。

<地球>を全部持っているからといって「永遠な地獄」に行かないわけではなく、「地球一つ」で、「天国の黄金の城」を買えるわけではないからです。

だから地球を全部持っていても、「引き上げられた人の栄光」に及びません。

これからは本当に「引き上げの価値」を分かって、感謝し喜んで、宴会をし、続けて次元を上げて「引き上げの生」を生きなければなりません。

<畑に隠してある宝>を発見して、「自分の持ち物」をすべて売り払って畑を買った人も、

<畑に隠してある宝>を発見したけれど、まだ「自分の持ち物」をすべて売り払えなくて「宝」を得られていない人も、感謝し、喜んで、「希望の宴会」をしなければなりません。

今日の御言葉を聞いて、毎日、感謝し、喜んで、宴会をして生きても、夢想(むそう)の生ではないから、<新婦としての復活と引き上げの喜び>を讃美し、感謝し、喜んで、宴会をして生きることを祝福します。

nice!(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

引き上げの復活 ~摂理 鄭明析牧師 主日の御言葉~ [摂理 先生]

ハレルヤ!
今日は先日の主日の御言葉を紹介します。

--------------------
『引き上げの復活』

[御言葉] 鄭明析牧師

[本 文]
ヨハネによる福音書5章24節
コリント人への第一の手紙15章50~53節
テサロニケ人への第一の手紙4章16~17節
使徒行伝1章8節

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ハレルヤ!

永遠でいらっしゃる神様の愛と御子の平安を祈ります。

今日の本文であるヨハネによる福音書5章24節で『よくよくあなたがたに言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の命を受け、またさばかれることがなく、死から命に移っているのである』と言いました。

復活とは、「<肉>が神様とメシヤを信じ、その御言葉を聞いて行なうことで、<霊>と共に変化して、死亡圏から生命圏に出てくること」を言います。

つまり「死んだ死体」が生き返るのではなく、「死亡圏で死んでいた人が、神様が遣わしたメシヤの言葉を聞いて行なって、神様を信じ、愛して、その肉体の考えと行ないと霊魂が生き返ったこと」を指して、「生き返った。復活した」と言います。

今は聖三位の新婦になる復活、すなわちこれ以上ない最先端の復活として<引き上げの復活>を成す時です。

ご飯を炊く時炊き上がるまでするように、
化粧する時最後までするように、
ご飯を食べる時最後まで食べるように、
服を着る時最後まで着るように、
私たちも毎日御言葉を聞いて最後まで行なって「引き上げの生」を生きなければなりません。

私たちが復活しなければならない部分は多いですが、特に自暴自棄から復活すること、性格が復活すること、感謝し三位と主を愛し、喜んで宴会をすることが復活しなければなりません。

復活節である今日、<引き上げの復活の喜び>をくださったことに感謝し喜び、未練なく、後悔なく、神様と聖霊様と御子主に、愛の栄光を帰すことを願います。

--------------------

以上です。

聖三位から見て、生きた生活!

皆さんの人生がより実りある人生であることを祈ります。

nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

「ひたすら神様だ。命を愛しなさい。」チョンミョンソク牧師 [摂理 先生]

今日はチョンミョンソク牧師先生の紹介をしたいと思います。

先生は「言葉よりも実践だ」

その実態が私たち、摂理に生きる私たちです。

私たちが神様を信じるようになったきっかけは?

どうして、神様、聖霊さま、御子を愛して生きるようになったのか?

先生が御言葉を教えてくださり、それを学んだからです。

(その事はおいおい話しますね。)

また、先生が作られた月明洞も

先生の実践の証です。

今日は、その月明洞(ウォルミョンドン)のサイトから記事を抜粋して、紹介します。

--------------------

『御子との初恋をなくさないように、続けて素晴らしい「イベント」をしなければなりません 』 


月明洞を最初開発したとき「初恋の火」がついて、明け方から日が暮れるまで働きました。


全部作ってからは、働くことがないから、「仕事の火」が消えました。

その次は、月明洞に行って御言葉を聞いて、聖三位に栄光を帰するようにさせました。

だから、また「初恋の火」が燃え上がりました。


集会を続けるから、その火もだんだんと消えるようになりました。


それでまた祈って研究をして<御子愛の家>も建て、

<祈りの園>も作り、そのほかにもっと働くべきところで働きました。


そうして「花の祝祭」、「岩の祝祭」をし、

「<御子岩>とさまざまな形象の岩のイベント」をして、

再び「自然聖殿の初恋の火」が燃えるようにしました。


御子との初恋をなくさないように、続けて素晴らしいイベントをしなければなりません。


-2014年2月19日 明け方の箴言の御言葉より-

--------------------

- WolMyeongDong(キリスト教福音宣教会)
nice!(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。